四大流派の形の特徴

空手の形は、100近い数(100以上?)の形が伝えられています。そして流派それぞれ技や動きに特徴があります。そこで大会でよく見られる四大流派の代表的な形を通してそれぞれの特徴について私の私見を語ってみましょう!

松濤館流

この形はウンス(雲手)という形、私が学生だった80年代以前から国内外各大会の準決勝以上でだいたい見かける有名な形です。ダイナミックでかっこいいです。松濤館流の特徴は、多くが首里手系統の形で「力強さ」「直線的なスピード」が強調されますが、このウンスのようにもともと那覇手の形で、剛柔流のように円を描くような回し受けがある形もあります。そう言う所もこのウンスの魅力なのだと思います。最初の猫足立ちで前足で円を描きながら進み一本貫手を三回繰り返す所は、猫足ではなく剛柔流のような三戦でやっている流派もあり、このウンスが那覇手が源流である名残ですね。ズドンっと強く踏み込む、遠い間合いからのスパンの長い順突き、なども松濤館流の特徴です。

全空連競技規定では、松濤館流の形は平安を除いて21種です。

剛柔流

この形はスーパーリンペイ(百八)と言い、那覇手、剛柔流の最高峰の形ともいわれ、これも昔からウンスと並んで世界中で人気のある形です。剛柔流のエッセンスが全て盛り込まれている形とも言われ、3分近くある長い形です。たぶん現在知られている形の中で一番長いのではないでしょうか(たぶんです)。剛柔流や那覇手と言えば、間合いの近い接近戦や三戦立ちや四股立ちによるねばりあのある重厚感、円を描く技、などが特徴とよく言われ逆技や外し技で構成された形が多いのが特徴です。一方このスーパーリンペイやクルルンファセーパイなど猫足で俊敏に動き、和道流のように素早く相手の懐に飛び込む、松濤館流のようにドンと強く踏み込む、というようなダイナミックな動きがある形もあり、奥が深い流派です。

全空連競技規定では、剛柔流の形は撃砕を除いて10種です。

糸東流

首里手、那覇手両方の形を数多く有するのが糸東流で、この形はチャタンヤラクーシャンクーという首里手の形で、90年代から大会に登場し、糸東流、中でも女子選手が世界を席巻した人気の形です。もともと糸東流は大きな体捌きは使わず小さな動きで受け即攻撃、というのが特徴で、今でももちろんそれが基本だと思いますが、このチャタンヤラクーシャンクーでその殻を破りスピード、俊敏性あふれるダイナミックな形へと進化しました。

全空連競技規定では、糸東流の形は平安を除いて45種です。競技規定に明記されていない形もまだあって50以上はあるはずです。これからまだ増える?

和道流

和道流は松濤館と同じく首里手ということになっていますが、セーシャンニーセーシのような那覇手由来の形もあります。この形はワンシュウと言う形で、一説には1683年ごろ中国からの渡来人によって琉球に伝えられたとも言われている由緒ある形です。和道流の特徴は他の流派にはない上段の払い受けや手刀受け、体を完全に真半身に切って相手の懐に素早く入る「入身」、などにあります。ところが真半身に切ったかと思うと剛柔流のように完全な真身で受け即攻撃、という千変万化の体捌きとキレとスピード感あふれる技の連続が和道流の魅力です。猫足立ちにも真身猫足、半身猫足、真半身猫足と三種もあります。このワンシューはその和道流の特徴がもりこまれた和道の中ではカッコイイ形です。ちなみに和道流は松濤館や剛柔流とは逆に強く踏み込むのはNGです。力を抜き、音を立てずにスッと入身、受けるのではなく流す、それが和道です。

全空連競技規定では、和道流の形はピンアンを除いて10種です。

番外編・劉衛流

糸東流と剛柔流には数多くの分派が存在し、また四大流派以外にも色々な流派、特に沖縄には古くから伝わる伝統的な流派が存在します。その沖縄の流派の一つがこのこのアーナンと言う形を代表とする劉衛流で、現全日本チャンピオンにして世界チャンピオンの喜友名諒選手の流派です。剛柔流と同系統の那覇手に属する流派で、「劉衛流空手形全集(書籍)改訂版」によると、一子相伝門外不出として伝えられてきたが1960年代に公開した、となっています。80年代に佐久本嗣男氏が、アーナンで世界大会3連覇、ワールドゲームズ2連覇、ワールドカップ(現在は行われていない)2連覇という偉業を達成し世界にその名を知らしめました。全空連競技規定では、アーナンなど劉衛流の形は糸東流になっていますが、これは公開された後、糸東流の人たちが沖縄に行って劉衛流の形を習って持ち帰ってきたことに起因するのではないかと思います。最近世界大会で登場するアーナンダイは、近年になって創作された形なので「昭和39年以前に存在が確認された形」を規定する全空連規定の国内大会では使用できません。ちなみにチャタンヤラクーシャンクーやトマリバッサイなども沖縄の流派から後に糸東流に加えられたのだそうです。