空手の歴史と和道流・大塚博紀

泪橋空手団は、空手の四大流派としては最後発である和道流の団体です。大塚博紀師を流祖とする和道空手誕生に至るまでの空手の歴史を琉球時代からたどってみましょう。

  1. 琉球唐手の歴史
  2. 四大流派と空手
  3. 和道流の特徴と大塚博紀
  4. 和道空手の形

琉球唐手の歴史

琉球時代、現在空手と呼ばれる徒手空拳による格闘武術は手(ティー)などと呼ばれていました。明治維新後日本に伝わり「唐手」、そして空手と呼ばれるようになり現代に至ります。

四大流派と空手

琉球の手(ティー)は、主に首里、泊、那覇の周辺の3つの地域で伝えられ、それぞれ首里手、泊手、那覇手と呼ばれていました。

そのうち首里手と泊手は同系統の技術によるティーと考えられ、首里手、那覇手の二つの系統に大別されます。それらの琉球手が空手として日本に広まって行く段階で、那覇手の流れをつぐ剛柔流、那覇手と首里手の両方をくむ糸東流、首里手の松濤館流と和道流、この4つの流派にまとまとまっていき、四大流派と呼ばれるようになりました。

さらに1964年。この四大流派それぞれの最大会派である剛柔会、糸東会、日本空手協会、和道会、および練武会がまとまって全日本空手道連盟(JKF)が結成され、さらに世界空手道連合(現世界空手連盟WKF)へと発展して行きました。

和道流の特徴と大塚博紀

四大流派のうち、和道流以外の三流派の形は、近代空手中興の祖とも呼ばれる糸洲安恒先生や宮城長順先生などのもとで体育的な要素が取り入れられ、全身の”締め”や力による受け技などが重要視されます。

一方、松村宗棍先生、本部朝基先生などの流れをくむ”力を抜き素早い体捌き”を特徴とする首里手に、日本の神道揚心流柔術の免許皆伝であった大塚博紀先生によって柔術や剣術の考えが加えられて創始された空手、それが和道流空手です。

形や基本で身体動作を練り、それを実用としてどう活かすかを基本約束組手で応用します。基本・形・組手が三位一体となって常に連携して修練するのが和道流空手の特徴です。

和道空手の形

和道流には全部で15の形があります。

ピンアン初段、ピンアン二段、ピンアン三段、ピンアン四段、ピンアン五段、ナイハンチ、クーシャンクー、チントウ、セイシャン、バッサイ、ジッテ、ジオン、ワンシュウ、ニーセイシー、ローハイ

このうちクーシャンクー、チントウ、セイシャン、ワンシュウを紹介。

クーシャンクー

全空連第二指定形でもあるクーシャンクーの形は、1756年頃に清の冊封使から首里の武士に伝えられたという首里手の代表的な形です。和道の形としては最も長い形で、四方八方に転身して素早く力強い技が特徴。

チントウ

全空連第一指定形でもあるチントウの形は、泊地方に古くから伝承されたと伝えられる形です。前後の直線のみの単純な演武線であるにもかかわらず、立ち方の変化に富み細かい敏捷性が要求される難易度が和道の中では最も高い(たぶん)形です。「チントウをこなせてこそ和道」といわれるほど。

セイシャン

チントウとともに全空連第一指定形でもあるセイシャンの形は、那覇手を源流とする形で、前半の”静”から後半の”動”へと変化する、脚捌きと腰使いが重要な形。和道独自の立ち方である「セイシャン立ち」「突き込み立ち(丁字立ち)」を使いこなせるようになるまで何千回でも修練したくなる奥深い形でもあります。

ワンシュウ

クーシャンクーほど長くはないですが、クーシャンクーと同様、いやそれ以上にダイナミックな形がこのワンシュウです。ツバメのように千変万化の敏捷性が魅力の形です。