大学空手の歴史

先週日本武道館で、東日本大学空手道選手権大会があって、見に行きました。

私が空手の大会で一番面白いのは大学の大会です。自分の空手の入り口が大学空手、学連の空手だったというのもありますが、なんといっても全日本レベルの選手が本気でやり合うところですね。

全日本学生空手道連盟、通称学連の歴史は古く、結成は1955年、つまり全日本空手道連盟の1964年よりもずっと早い。第1回全日本大会は1957年に開催されました。大正期に日本本土に沖縄から空手が伝わり大学に「唐手研究会」が次々と作られ、現在の空手道の練習方法や試合方式が作られていったのは大学なのです。つまり現在の世界の空手は日本の大学にルーツがあるのです。

組手のルールは長らく「三本勝負」で行われていました。突きも蹴りも中段でも上段でも全て一本、と言うルールです。そのため上段の刻み突きだけで勝負がつくなんて試合も少なくありませんでした。上段蹴りなんてほとんどでない。

一方でWUKOの世界大会では技あり1ポイント、一本2ポイントの6ポイント先取りルールで行われるようになり、全日本の選手も軽快なフットワークから上段の裏回し蹴りなど多彩な技をくりだすようになっていました。

そこで私が3年生の時、学連でも世界大会と同じ6ポイントルールになりました。翌年から4ポイントになりますが、この当時のポイントルールの特徴は、現在のように手技は1ポイント、上段蹴りは3ポイントというように技で明確にポイントが決められているのではなく、「軽い技だと技あり」「強い技だと一本」、「カウンターだと一本」みたいなルールだったので、軽いショートの突きや裏拳、回し打ちなどが見られるようになりました。

それから何年かほどたって有効が導入され、「有効1ポイント」「技あり2ポイント」「一本3ポイント」というルールになりますが、学連では国際大会では有効な多彩な蹴り技がとられることがなく「学連ルール」などと言われる事もありました。

今から10何年か前の全日本大会での近畿大学の松久選手と帝京大学の永木の選手の試合で、松久選手のはなった上段裏回し蹴りがポイントにならず反則をとられてしまい松久選手が「ウオーっ」と吠えていたのをよく憶えてます。

赤青前の学連拳サポ
▲赤青前の学連拳サポ

拳サポ類も赤青になるまでは学連は独自用具を使ってましたっけ(→拳サポの歴史)。

ちなみにあの頃の学生は袖がワイシャツみたいに細長く、ズボンもスリムデニムみたいな超スリム道着が流行ってましたよね。その後道着の太さルールができて禁止になりましたけど。

そして4年前の現在のWKFルール改正をきっかけに、ようやく学連ふくめて日本国内でルールが統一され、わかりやすくなりました。学連はいち早くWKFと同じ赤青のコンビネーションキックを導入し、現在に至るのであった。

しかし用具類に関しては、学連に限らず「日本ルール」がいまだに続いてますね。とりあえず小学生のリバーシブル拳サポはなしにしてください。足は白サポーター使ってんだから拳サポも白だけでいいと思うけど。メンホーも拳サポも値上げ一方ですもんね。なんとかならんか、メンホー1万8千円・・・・